
Xで度々投稿していることではありますが、最近の小中学生における暗記軽視について非常に危惧しています。何で暗記を軽視するかなぁ。
一昔前は「詰め込み教育」だと批判を受けた日本の教育制度ですけれども、暗記そのものは学びにとって当然に必要なものであり、知識が思考を支えることに異論はないと思います。昔で言うところの読み、書き、そろばんではないですけれども、こういった基礎学力を軽んじて良いことには絶対にならないはずです。
しかし、どうでしょうか、ここ数年特に強く感じるようになっていますけれども、小学校の時にほとんど適切な負荷を掛けられることなく、そのまま中学生になってしまう子が本当に増えました。例えば、九九が苦手といったレベルではなくて、繰り上がりの足し算や繰り下がりの引き算でつまずいてしまっている子が驚く程増えたと感じるわけです。漢字にしてもそう。確かに漢字学習はドリルが中心になるので、どうしても子供が嫌がるのはわからないわけではないんですけれども、だからといって小学校低学年、中学年の漢字の読み書きが不自由な状態では、中学校の勉強に耐えられるとは到底思えないんですよ(そのレベルの読み書きができない状態では、語彙も極めて限定的であることは言うまでもありませんね)。これは、単に漢字の読み書き能力に限った話ではなくて、覚えるまで繰り返しやれるかどうか、そういう能力も込みで考えないといけないわけです。要するに、小学生の段階で覚え切るという経験をしているかどうか。これが重要なんですね。
ただ、昨今の風潮から言って、子供に対して「やりたくないならやらなくていいよ」というのが標準化されつつありますから、苦労してでも覚え切るんだという、言わばそこまでの過程を子供に求めること自体が「労苦の強制」であり、「子供に寄り添っていない」と見なされる恐れがあるのが怖いところです。でも、本当に子供に寄り添うならば、やらなければならないこと、覚えなければならないことはしっかり教え、生きて行くのに最低限必要であろう基礎学力を身につけさせてあげることだと思うんですけどね。「勉強なんてしなくてもいいよ」とは言わないまでも、勉強しないことを是認することって決して優しさではない。むしろ、それってものすごく残酷なことをしているとすら思うわけです。子供達に対して無責任とも言えるかもしれません。言ってみれば、選択肢を最初から奪うことになるわけですから。
ではなぜ、それ程までに暗記すること、覚え切ることにこだわるかと言えば、基礎学力が低い状態の子に物事を理屈で教えるというのは現実的にとても難しく、まずは丸暗記でも何でもいいから覚えてみてと促し、覚えてもらうことが理解への第一歩になることも多々あると思っているからです。とにかくまずは覚えてもらう。その後で理屈を教えた方が、「なるほど、そういうことだったのか」に繋がるのではないか。これ、自分のことを言うのも何なんですが、実は結構あるんですよね、よくわからずにひとまず覚えるだけ覚えて、その後再度理屈を学ぶとよくわかったみたいなことが。と、簡単に書いていますけども、本当は覚えるのに一苦労することだってあります。まぁ、ただ、大人のみなさんは、こういった経験の1つや2つ、3つ4つ、もっとかもしれないですが、きっとあると思うんですよ、自覚しているかどうかは別としてね。だからこそ声を大にして言います。
暗記軽視、ダメ絶対!