覚えるということ/RS野中/勉強が苦手な子のための学習塾/岐阜・岐南・笠松・ 各務原

 本年は大変お世話になりました。ブログの更新が止まったまま12月31日を迎えてしまいましたが、年内最後ということで思っていることを綴ろうと思います。

 

 以前読んだ本(柳川範之『東大教授が教える独学勉強法』草思社文庫、2017)に「マーカーを引くより、繰り返し読んだほうが身につく」という章がありました。何故今これを話題として取り上げようとしているかと言うと、これまで出会った生徒達の様子から「教科書の太字を見たら、条件反射でマーカーで線を引いているのではないか?」と感じることが多々あったからです。前後の文脈など完全に無視して、目に飛び込んできた太字だけを見てマーカーで線を引く、そんなケースと表現したら良いでしょうか。そして、マーカーで線を引いたこと自体を忘れてしまい、「そんな言葉は聞いたことがありません」と返ってくることもしばしばありました。これが意味するところは、「マーカーで線を引くことで満足してしまい、知識として定着するまで読んでいない」ということになろうかと思います。このことは、先述の本の中で柳川先生が述べられていることと重なります。

 

“入門書や概説書にしても、学ぶ本というのは、1回読んだだけでは、まず内容がわからないと思っていたほうがいいと思います。「わかる」というのは、実は非常に難しいことです。私たちのようないわば読むことが専門の人間でも、論文を1回読んでわかるということは、ほとんどありません。わかった気になっても、あとになって、その論文を発展させて何か自分で論文を書こうとしたときに、いろいろなところでつまずいてしまい、実はあのときは「わかったつもり」で本当はわかっていなかったんだと気がつくこともしばしばです。”(上記『東大教授が教える独学勉強法』P129)。

 

 人は極々一部の天才を除けば、「覚えては忘れ、覚えては忘れ」の繰り返しをすることによって、初めて知識として定着させることができるのだと思います。読むだけではなく、何度も書いてみることも大切ですね。ですから、1度見て、それにマーカーで線を引いただけのことをもって勉強したとは言えないでしょう。しかし、少なくない子が「マーカーで線を引く=覚えたつもりでいる」ということを実際に何度も見てきました。線を引いているそれだけど、どういう意味?」と聞いた時に「わかりません」という返答をされたことも。

 

 とはいえ、同じ日に何度繰り返し読んだり書いたりしても、その1日の勉強だけで「覚えた」ということにはなりません。定期的に読み直したり、書いてみたりしながら、知識の定着度合いを確認していくことが大切ですね。時々見ることではありますが、同じ日に同じ単語や用語を何十回もノートに書いて、それでもって「勉強した」とする子がいますが、こういうのは効率が極めて悪いと言わざるを得ないでしょう。初めて文字を覚える時には、何度も何度も同じ字を書く練習は大切だと思いますが、あくまでも文字を書く練習ではなく、知識として「覚える」ことを目的としているのですから、同じ日に何十回読んだり書いたりしたところで、次の日には忘れているかもしれない、むしろ大半は忘れてしまうものだということを考慮に入れる必要があると思います。

 

 このことは「ワークを何周すればできるようになりますか?」という話と同じようなもので、何度やっても理解が曖昧で忘れてしまう事柄が現実にある訳ですから、読んだり書いたりした回数ではなく、知識として使えるようになることをもって、初めて「覚えた」ということになるのではないでしょうか。「学校の宿題として○回やったから、もうやらない」といった趣旨のことを言われることがありますけれども、小学生のドリル、中学生のワークは○回やればたちまちできるようになるものではありませんから、生徒達には取り組んだ回数を基準とせず、「覚えた」かどうかを基準にしてもらいたいと願っています。

 

 最後に、私事ではありますが、この夏から少しずつ英語の勉強のやり直しを始めました。これまで全くやっていなかったかというとそういう訳ではないのですが、来年度から中学英語が難化することに対応するためにも、知識の幅を広げていかねばならないと思ったからです。いざやり始めると、情けないくらいに忘れてしまっていることが多いんですね。人は忘れる生き物であり、「覚えては忘れ、覚えては忘れ」を繰り返さなければ定着していかない。今回の内容は生徒向けに言っているだけではなく、僕自身への自戒でもあるということです。