1年を振り返って/RS野中/勉強が苦手な子のための学習塾/岐阜・岐南・笠松・ 各務原

 年末年始という実感もほとんどないままに、大晦日を迎えてしまいました。実感はないのですが、1年を振り返る必要はあるのかなと思うので、少し振り返ってみようと思います。

 

 この1年は、個人的には苦しいことが多かったように思います。苦悩の中にあって、生徒達にも多分に迷惑を掛けてしまったという懺悔の思いは消えることがありません。毎日来てくれる生徒達含め、多くの皆様の支えがなければ精神的に立ち直ることができなかったと思います。この場をお借りして御礼申し上げます。本当にありがとうございました。

 

 さて、この1年は「正しい」教育とは何か?を自分なりに考えた1年でした。当ブログでもタイトルそのままの「『正しい』教育とは何だろう?」、「続『正しい』教育とは何だろう?」に、その時点で考えられることを書いたつもりです。しかしながら、何が正しいのか?という明確な基準がない、言わば答えがないものに対する疑問は、いくら考えても結論に至ることがないままです。いずれまた更に続きを書かねばならないと思っています。

 

 教育、それは度々指摘していることではありますけれども、僕は決して学力面だけを指したものだとは思っていません。学力面の教育は、教育という大きな枠組みの中での一部に過ぎないという認識です。人が人として生きていくための術を教え授けると共に、各人が持っているであろう能力を引き出すこと。そして、善良な人間として生きていけるようにすること。これらをもって「教育」と言うのではないかと思っています。それは、対象が若い子供達に限ったことではないとも思います。人は生き続ける限りにおいて、何かしら学び得ながら日々を過ごしていきますし、大人だからといって道を誤らないなどということはなく、むしろ大人だからこそ道を誤ることもありますから、人は教育を受け続けて生きていくのではないでしょうか?

 

 岐阜ではあと1か月余りで私立入試が、あと2か月余りで公立入試が行われます。人生においては、受験は確かに一大イベントに位置付けられるものではありますけれども、これだけは声を大にして言いたいのは、あくまでも高校受験は高校生活のスタートラインに立つためのものであって、決してゴールではないということ。受験が終われば勉強しなくても良いなどということはあり得ず、高校で勉強していくためのスタートラインに立つだけなのですから、入学後もずっと勉強し続けることが大切です。しかしながら、このことを誤解している大人があまりにも多い気がします。子供が、ではなくて、大人が、です。受験のための勉強は、勉強の中の極々一部なのです。もし、合格こそ全て、子供を進学させることをもって「教育」だ、と思う大人が多いとするなら、それこそ「教育の失敗」なのだと思えてなりません。

 

 最後になりますが、本年は大変お世話になりました。来年も「正しい」教育とは何か?を模索しながら、生徒達と共に日々学んでいきたいと思います。