友達って何ですか?/RS野中/勉強が苦手な子のための学習塾/岐阜・岐南・笠松・ 各務原

 先日、ある生徒から学年末の通知表評価を聞きました。そこで思わず「何でだ?」と事情を確認したのですが、定期テストでのペーパーテストがない科目で低評価になる理由など明らかです。授業態度が悪過ぎるということに尽きる。授業態度を評価するのは客観性が担保できない、といった類の意見もあるでしょうが、あからさまな低評価になるのは、目に余る酷さである、ということ。その意味を考えなければならないのです。

 

 事情を聞くと、「友達としゃべっていた」と返ってきました。そんなことだとは思っていましたよ。しかも、そのしゃべるというのも度が過ぎたものだろう、と容易に想像ができてしまうのがあまりにも残念なこと。教室内にはいるとしても、全く授業に参加する意思を見せていない、ということなのでしょう。

 

 「友達としゃべっていた」と言った生徒にとっての友達とは一体何なのか?と考えてしまいます。お互いにお互いの足を引っ張り合うのが友達なの?互いの進路実現のために、「授業はマジメに受けようぜ」と言い合えるのが友達なんじゃないの?というか、「友達としゃべっていた」とあえて「友達」を出すことによって、さも自分は悪くないと言わんばかりに「友達」のせいにし合う関係で、それでも「友達」と言えるの?

 

 そもそも、友達って何ですか?

 

 考えさせられますよね。

 

 生徒達にはこんなことをよく言っています。「友達なんていうのは、自分の今をそのまま投影する存在。自分自身が何かに努力しようとすれば、友達の質も変わってくる。足を引っ張り合うだけの関係性でしかない友達は、自分がその程度の存在だということを証明しているではないか。」と。

 

 「類は友を呼ぶ」とは昔の人は的確な表現をしたものです。言い得て妙、まさにその通りではありませんか。

 

 本当に良い友達を欲するなら、まずは自分自身が変わらなければならないと思いますよ。友達を変えるのではなく、自分自身を変える。その結果、今まで仲の良かった友達が離れていくならそれまでです。そうではなく、今まで仲の良かった友達が刺激を受け、自分も頑張ろうと思ってくれるなら、今までとは違った良い関係を築けるかもしれません。いずれにしても、まずは自分ですよ。「アイツすげーな」と周囲から思われるくらいの存在になろうぜ!