「読み・書き・そろばん」の話/RS野中/勉強が苦手な子のための学習塾/岐阜・岐南・笠松・ 各務原

 先日、ツイッターで仲良くさせて頂いているそろばん教室の先生のツイートに、自らの主張こそが正しいとばかりにケンカを売っている人がいるのを見ました。この話を何故ここで取り上げようとしているかというと、子供の教育には何が必要なのか?という点の議論として極めて意味があると思ったからです。

 

 要するにどういうことかというと、そのそろばん教室の先生が、小学校でプログラミング教育を行うことへの疑問を投げ掛け、国語力・語彙力・計算能力をきちんと上げることで解決すると思う、といったことを主張されたのに対し、計算ドリルや漢字ドリルをやっているくらいならスクラッチ(小学生でも簡単にできるプログラミングソフトのこと)でもやっていた方が将来稼げる、という趣旨の反論をする人がいたのです。あまりにも極端な主張だったので驚いたのですが、そういった主張をする人が博士号を持っている人だったものですからどうしたものか?と思ったんですね。

 

 日本では、近世以降の初等教育における教育内容として、又子供が獲得するべき知識として「読み・書き・そろばん」が重視されてきたという歴史があります。現代風に言えば、基礎的リテラシーとでも言えるでしょうか。文字が読める、文字が書ける、単純な四則計算ができる、これらの生きていく上で必要不可欠な知識は、おおよそこの「読み・書き・そろばん」に集約されていると言っても過言ではないくらいに、今尚有効な知識であると僕は思っています。

 

 小学生、とりわけ低学年の時は、とにかく様々なことに触れて、遊んで、そして「読み・書き・そろばん」の部分だけを徹底してやっていけばいいんじゃないかな?と思います。具体的に言うと、音読、漢字の読み書き、計算ドリルとでも言えるでしょうか。「読み・書き・そろばん」を軽んじると、後々苦労することは明らかです。社会生活を営むのに必要な部分を省いてしまうと、いくら高度な技術を持っていようが、そもそもとして成り立ちませんからね。