その勉強のやり方でいいのか?(4)/RS野中/勉強が苦手な子のための学習塾/岐阜・岐南・笠松・ 各務原

 3回にわたって(1回2回3回のリンクをそれぞれ貼っておきます)「その勉強のやり方でいいのか?」をテーマにして書いていますが、当初の想定とはちょっと方向が逸れてしまったような、本当にテーマに則したこと書いているのか自信がなくなってきたような...。まぁ、いいか。気にせず続きを書いていきます。

 

 中学1年の時から通ってくれている現在高校2年の生徒(※高校生になってからの生徒募集はしていません)に、今回のテーマのブログ過去3回分の内容について話してみました。

 

「それ、ずっと前から言ってるよね」

 

そうなんです、その生徒とは付き合いが長くなり、在籍期間に比例して話した量も他の生徒より多いのですが、ずっと前から変わらず言い続けていることなので、その生徒にしてみれば耳にタコができるレベルでしょう。決して昨日今日言い出したことではない。でも、非効率の勉強法が子供達を拘束し続けている現実がある。その生徒の在籍期間だけ考えても、ほぼ全ての生徒が入れ替わったにも関わらず、それでも新たに来る生徒が非効率的な勉強法をしようとする。残念ながら全く変わっていないのです。

 

 考えてもみてください。成果が上がらない、点数が上がらない、成績が良くならない、その原因は何ですか?絶対的な勉強量の欠如は当然上位の理由ではあるでしょうが、ある程度の勉強量を確保しても成果が出ないのは、ズバリ誤ったことに拘り続けているからなのです。簡単に言えば勉強法が間違っている。それでも誤った勉強法に拘るのは、学校教育の中で日常的に接していることであるが故、としか説明がつかない。

 

 悪癖は簡単に除去できるものではなく、除去するには相応の覚悟と時間が必要です。僕のような塾運営者が学校に批判的な内容を敢えて書き続けているのは、それが入試に直結するからでも、ビジネスの意味合いからでも何でもなく、単純にそのような非効率な勉強を子供達に強いることが、本来楽しい、面白いはずの学ぶという知的行動をつまらなくさせ、結果的に子供達が勉強することの意味を見失い、勉強することに価値を置かなくなることを懸念しているからです。新たな知識を得ることは、子供達にとって楽しいことであって欲しい。だからこそ、使ったノートのページ数という尺度で勉強量を計るとか、必要以上に書かせることを即座にやめてもらいたいのです。

 

 今まで見てきた生徒達の学校では、ワークなどの提出物に関して、提出が遅れたり、あるいは未提出の場合は評価が下がる減点方式ばかりでした。しかし、本当に子供達に自主的な学びを求めるならば、どなたかの意見と類似の意見になってしまいますが(何処で見たのか記憶がなく、出典元を付すことができませんので、今回はやむなくこのように記しておくことをご了承ください)、提出したら加点するという加点方式に切り替えるだけでも十分に効果は得られるのではないかと思います。そういったすぐにでもできるところの改革を、是非行ってもらいたいものです。自主勉強にしてもそう、最初から科目別にノートを分け、テストにあわせて提出したい生徒だけが提出して加点されれば良い。ただし、同じ単語や漢字、用語をただただ何度も書くだけのやり方は認めない、とすれば意味のないノート埋めを行う生徒は減っていくように感じます。

 

 とりとめのない話の連続になってしまいましたが、今回をもって「その勉強のやり方でいいのか?」のテーマについてはひとまず完結させてもらおうと思います。まだまだ書き足りないことはありますから、いずれまた似たようなテーマで論じてみるつもりです。