その勉強のやり方でいいのか?(3)/RS野中/勉強が苦手な子のための学習塾/岐阜・岐南・笠松・ 各務原

 前回のブログ前々回のブログを思いがけずツイッターで同業の方に読んで頂いたので、ここは日を空けずに続きを書いた方が良いかな?と思い、続きを書くことにします。

 

 子供達は、良くも悪くも学校で習ったことを基準としています。そのこと自体を批判的に論ずるつもりはないのですが、しかし子供達にも段階というものはやはりあって、初学の段階で最善であったやり方が、段階が上がるにつれて必ずしもそうではなくなるケースはあるはずです。そのことについて触れていこうかと思います。

 

 初学者の段階というのは、習ったことを丸暗記するくらいで丁度良いでしょう。何しろよくわからないことばかりなので、知識を付けるにはそれは必要不可欠な段階とも言えます。例えば、僕自身は英語を中学生になってから勉強し始めたので、とにかく単語や熟語の暗記、文法事項の暗記、音読の繰り返しによる教科書内容の暗記、という風に、初期の段階では暗記することのみ追求して勉強しました。これが非常に有効で、早期に英語の型を覚えることができた結果、中学3年間で英語で困ったことは1度もなく、極めて安定した成果をあげることができました。もっとも、高校ではその段階から脱するのに苦労したことは、一応触れておきます。先生が厳しい方だったので、しがみつくだけで精一杯でしたけれど、その甲斐あって次の段階に進むことができました。

 

 話は戻りますが、僕は中学生の時に英語の丸暗記に近い勉強をしていたとはいえ、覚え方は自分なりに工夫していたことは付しておく必要があるかと思います。前回のブログで書いたような、同じ単語を1回の勉強で10回とか20回書くといった極めて非効率な勉強はしていません。書くのは数回で、あとは繰り返し見る、読む。忘れないように、とにかくできるだけ見続け、そして発音し続けました。見るのは単語や文が書かれた物がないとできませんが、発音ならどこでもできます。暗唱する時は部屋で、風呂の中で、1人になれる空間では極力暗唱していた記憶があります。それはひとえに、覚えようと思っていることを印象に残すためです。しかし、今尚1回の勉強で数十回書くという非効率的、且つ何が目的なのか不明確になってしまった方法でもって暗記をする生徒が後を絶たないのは、少なからず学校での指導にそういった側面があるのではないかと思っています。

 

 例えば、こんなことを言う生徒がいました。授業中に先生が黒板に書いたことをノートに写すことに精一杯で、先生が何を言っているか全然聞いていなかったと。ノート点があるとかで、必死になって黒板に書かれたことを写していたら、写すことが目的化してしまい、本来の理解しようということが完全に疎かになったというパターンです。結果、その生徒は授業で何をやっていたのかもわからないまま、ただただノートを書くという作業に終始していたのでした。それでは内容を覚えることはもちろん、理解などできるはずもありませんね。当然のようにテストはボロボロ。これも先の非効率な単語の覚え方と通ずるところがあり、書けば内容を理解できる、書けば覚えられるという錯覚が招いた悲劇と言うことができるかと思います。それでもその生徒は、頑なにノートをとることをやめようとしませんでした。こうなってくると、ノートをとる、ノートに書くことが強迫観念のように生徒の行動を支配してしまい、勉強そのものが書くことだと勘違いしてしまっているのですね。そんなことまでして、はたしてノート点って必要なのだろうか?僕は疑問を持たざるを得ません。

 

 また長くなってしまったので、続きは次回に持ち越すことにします。このネタを書き始めるとなかなか終わりが見えてきませんね...。