その勉強のやり方でいいのか?(2)/RS野中/勉強が苦手な子のための学習塾/岐阜・岐南・笠松・ 各務原

 昨日のブログが長くなってしまったので、その続きを書いていきたいと思います。今回もまた長くなりそうな気配がプンプン漂っているので、もしそうなったら延長戦は明日以降ということで。引き続きご覧頂ければ幸いです。

 

 さて、昨日のメインは「自主勉強」についてでした。課題としての自主勉強に、僕自身は全く価値を見出すことができません。その理由については昨日綴りましたので割愛しますが、それではどうするか?という点については触れませんでした。僕の考えは、思い切って課題としての自主勉強なんてなくしてしまえばいいじゃないか、ということ。だってそうでしょう、勉強したいという子にとっては課題があろうがなかろうが勉強やるんだし、勉強したくない子にとっては自主勉強はただのノート埋め作業。こういう現実を見て、それでもわざわざ課題として出す必要ありますか?おっと、自主勉強の課題がなくなったら、勉強をやらない子を作り出すことには直結しませんよ。そもそも、本当にやらない子は課題だろうが何だろうやらないんだし、提出しませんから。そこは理解しておく必要がある。少なくとも課題としての自主勉強にせよ、ワークにせよ、出さない子は出さないんです。新品同然のワークを次の学年になってから塾に持って来る子が毎年確実にいます。ということは全く出していないし、取り組んだ形跡も当然のようにない。それが現実なんですよ。学校の先生方の思いとは正反対の現実が。

 

 自主勉強の話はキリがなくなりそうなので、ここらで次の話題に。自主勉強のことと一部内容が重複してしまう感じではありますが、ただやみくもに漢字や英単語を必要以上の回数書いて並べる勉強、あれやめませんか?ノートのページ数を課題として指定する自主勉強の弊害でもあるとは思うんですが、「英単語を覚えよう」とか「漢字を覚えよう」と指導すると決まって同じ単語や漢字を10回とか20回書く生徒が登場します。また君もか、といった具合に出て来る出て来る。記憶というのを何か誤解しているんじゃないですかね。確かに頻繁に書く単語や漢字を忘れることはありません。普段我々が使う言葉は人によっての差異はあれども、だいたいが決まっています。決まった言葉を使い続けていれば、そりゃ忘れるはずはない。これと同じ原理を、何故英単語や漢字を記憶させる時に応用しないのでしょうか?たとえ1回の勉強で10回書こうが20回書こうが、それを1週間とか1か月全く使わないとすれば、まぁ信じられないくらい忘れてしまいます。人の記憶などそういうものなのです。だからこそ、自ら意図してできるだけ日々使っていくように仕向けていかないと忘れるのです。1日に10回とか20回書いたことで自己満足するくらいなら、継続して見直し続けた方が記憶として定着しやすい。同じ10回という回数を仮に書くにしても、何日かに分けて通算10回書いた方が遥かに記憶には定着するのです。生徒達にはそういうことを意識して欲しいんですよね。

 

 RS野中では、生徒達が今まで何の疑問もなく当たり前のように信じてきたであろう勉強法、記憶法に対し、何故そのやり方で勉強して記憶として定着していかないのか?という観点で疑ってみることを奨めています。それが、たとえ学校の方針や指導であったとしてもです。だからこそ、今回はまず最初にことわりを記しておきました。大切なのは何か?それは、子供達が自ら意識して学ぶことであり、知識として記憶に定着できるようにすることです。悪癖は1度身に付いてしまうと矯正するのに多くの時間がかかるので、最初から悪癖を付けないようにさせていきたい。書きたいことはまだまだありますが、また機会があれば続きを書いていきたいと思います。