こだわりを捨てたら変わってきたこと/RS野中/勉強が苦手な子のための学習塾/岐阜・岐南・笠松・ 各務原

 先日、何人かの生徒から、実年齢より若く見えると言われました。来年40歳になりますが、その歳には見えない、そういうことらしいです。喜ぶところなんでしょうかね?少々戸惑います。

 

 塾を立ち上げた当時は30代前半でしたから、生徒にとっては少し歳の離れた兄貴分的存在ではあったんだろうと勝手に思っているんですけれども、年数を経て生徒との年齢差が25歳程度になりましたから、考えてみれば生徒とは親子のようなものなんですよね。あまりそういった感覚はないんですが、現実的にはそういうことになりますか。

 

 この話をいつも色々とお話をさせて頂くある保護者の方にしてみたところ、「1年前より表情が柔らかくなりましたね」と言われました。こういったことは初めて言われたんですね。確かに、多少なりとも自覚はあります。妻と共に羽島幼稚園で行っている幼児教室でも、幼児達の方から近寄ってくるようになったんですね。一緒にはしゃぐことができるようにもなりました。精神的な余裕を持てるようになってきたことも、そうなった要因であると思います。

 

 昨年度、初めて進路確定以外の理由で1人も欠けることなく年度を終えることができたのは、その意味では大変嬉しいことでした。それまでは、極端に生徒の出入りが激しい時もあったんです。苦悩もありましたね。精神的に落ち込むと、運営方針が間違っているのではないかと思ったり、手法がおかしいのではないかと思ったり、そんなことの連続で、時には軸がブレそうになったこともありました。

 

 塾として存在している以上、上位校の合格実績が必要なのかもしれないと思ったこともあります。それに、生徒の点数アップを売りにしようとか。実際のところ、大幅に成績が改善された生徒はこれまでにも多数います。ただし、トップページでも触れているように、通塾開始時点で各学校の学年平均を大きく下回る生徒が少なくない現実を考えれば、合格実績だけでは、このような生徒達の努力を正確に映し出すことはできないんですね。同時に、進路は生徒自身が決めるものであるという僕の考えからすれば、生徒の努力を塾の実績として掲げることに違和感があったんです。塾の都合でもって生徒の進路を拘束するのはおかしなことだと思っていますし、生徒の努力をさも僕自身の実績かのように掲げるやり方は、僕のカラーには合わないんですね。

 

 正確には記憶していないですが、昨年のある時ですかね、「自分ができることだけやろう」「高望みしたって、できないことはできないんだから」と開き直ることにしたんです。あれやこれやと自分にはできないようなことにこだわり続けるのをやめよう、そんなこだわりは捨ててしまおう。塾を立ち上げてから6年から6年半程時間が経っていました。開き直るまでに随分と時間はかかりましたが、そうしたら気が楽になったんです。吹っ切れたということでしょうか。

 

 20日のブログ記事ではないですが、僕自身が不完全であることを自覚しているからこそ、完全を目指し続けることができるんだと思います。変なこだわりを捨て、まずはできることだけをやる。そうした開き直りが、できもしないことを追いかけようとして自分らしさを抑え込んでいたこだわりから解放してくれました。

 

 勉強って、何かを知るって、本当は楽しいことなんです。でも、知らず知らずのうちに、大人の都合でもって、子供達を大人の名誉や名声のために誘導もしくは利用してしまっていることが、世の中には多々あるようにも思います。そういうものとは対極の方向性を歩んでいこう!もちろん、一大人として、ダメなことはダメだとはっきり言うことも必要だと思っていますから、叱るべき時は叱ることをやめるのではありません。そういう点では厳しさも大切。そうではない、ただただ大人の利益のために勉強を強制させるようなことは僕はしませんよ、ということです。それをより強く思えるようになったからか、自然と表情が柔らかくなったんだと思います。