進学校には余力を残して入りましょう/RS野中/勉強が苦手な子のための学習塾/岐阜・岐南・笠松・ 各務原

 最初にお断りを入れておくと、今回の内容はRS野中が対象としている生徒向けではありません。今後、通ってくれている生徒が進学校と呼ばれる高校に入れるだけの学力を身に付けてくれるようになると良いなぁ、とは思いますが、どの高校を選択するかは生徒の意思次第であること、そしてその意思を尊重するというこれまでの姿勢は不変です。ですので、一般論の話をしていこうと思っています。

 

 岐阜学区で最難関の高校は、県内最難関と言っても良い岐阜高校です。定員は360人。平成27年度までは400人、28年度から360人になっています。平成30年度の大学入試結果を見てみますと、現役で国公立大学に合格したのは定員の半分強。そのうち、医学部医学科の合格者が11人含まれているあたり、岐阜高校の特徴とも言えるかもしれません。他校では国公立大学医学科の合格者を出すことはなかなか難しいと思いますので。ちなみに、最難関と呼ばれる旧帝大受験者は延べ(前・後期の合計値だと思われますので便宜上そう記載します)217人で合格者は76人(東大に延べ32人が受験して12人の合格、京大に延べ48人が受験して13人の合格、名大に延べ98人が受験して36人が合格)。中には難関私立大学に特化して受験している生徒もいるでしょうから、全体的に見れば相当にハイレベルの学力層であると言えるかと思います。しかし...。

 

 これは校内でも成績上位にいる生徒に言えることであって、下位にいる生徒はどうなのか?ということには普段あまり触れられていないように思います。ましてや、最下位層に関しては言えば、学校が対外的に出している華やかな合格実績とは無縁の世界にいるかもしれません。そういう想像力もまた必要ではないかと思うんですね。上位と下位の差は想像以上だと思った方が良いということです。

 

 今回はたまたま最難関の岐阜高校のデータを使わせてもらいましたが、岐阜高校に続く岐阜北高校、加納高校のデータを見る限り、難関と言われる大学に合格可能な確率はかなり低下します。ましてや、旧学校群制度の名残で地元塾業界から「岐阜5校」と一括りにされる岐山高校、長良高校のデータを見れば、その確率低下は顕著です。つまり、地元での人気とは無関係に、全国のライバルと競い合うことになる大学受験は甘くないということ。高校受験と大学受験は全く別物であり、地元では上位進学校と呼ばれる高校に行ったところで、これから高校を受験しようとしている中学生が考えている程大学受験は甘くはないのです。

 

 すなわち、中学時代に無理をして進学校に合格したというような状況下では、難関大学を一般受験で合格する確率は極めて低くなるということです。あえてここで難関大学と言っているのは、難関大学に一般受験で合格できるような学力を有していれば、それだけ選択肢が多数用意されるという意味からです。例えは悪いですが、加納高校に無理して入っているようだと、現実はかなり厳しいと言わざるを得ませんし、高校受験と同じような感覚で大学受験を捉えているようでは痛い目を見るのは明らかです。受験どころか、高校での勉強に全く付いていけなくなる恐れもあり、高校生活そのものが苦痛になってしまうかもしれません。僕自身、岐阜北高校で落ちこぼれを経験しています。そこまで無理して進学した訳ではなかったのですが、それでもかなり苦しい状況にありました。だからこそ、対外的に見える華やかなデータだけではない部分にも、想像力を働かせてみる必要があると思うのです。

 

 そもそも、無理して、背伸びして上位進学校に入る意味とは何でしょう?無理するくらいなら、地元でも不動の地位を築いている例えば県立岐阜商業などに進み、そこで進学もしくは就職という両面で考えた方が良いのではないでしょうか。中学時代に必要以上に無理して進学校に進むことができたとしても、普段は全然勉強しないように見えて、驚異的な集中力と記憶力、理解力を持つような子にはあっさり抜かれてしまいますよ。そういう現実も知っておいた方が良いかもしれませんね。

 

 僕のような元落ちこぼれが言うのも何ですが、無理して背伸びするくらいなら、上位進学校に行くのはやめるべきです。入ってからの伸びを期待する人もいるかもしれませんし、実際そういうケースもあるにはあるでしょうが、伸びる前に高校の勉強そのものが嫌になる可能性の方が高いように思えてなりません。やらなくてはならないことが一気に増えますからね。高校は概して中学時代の成績が同じような子ばかりが集うと言っても、その背景には余力を残して入った子、目一杯無理して入った子がいるのです。余力を残して入った子は高校の内容にも十分耐えられるでしょうが、目一杯無理して入った子は下手をすると高校1年生の夏までには完全に脱落してしまうことも十分にあり得ることです。それに、トップで合格した子とビリで合格した子では、同じ高校にいるといっても相当に学力が異なります。そこも留意すべきですね。

 

 大学受験を目指すならば、高校に入るのはそのスタートに過ぎません。高校に入ればゴールではないのです。日々の高校生活を苦痛の連続で過ごすのはあまりにももったいない。要するに、「進学校に行くならば、余力を残して入りましょう」ということです。余力がないようならば、上位進学校を目指すのはやめましょう。「岐阜5校」に入りさえすれば、なんていう幻想を抱くのはとても危険なことです。これから高校を受ける中学生達は、甘い期待を持たせるような大人の言葉は無視して、自分の学力と適性に合った高校を選ぶべきですよ。大人の側も大人の側で、子供の現在地を客観的に分析すれば、負荷をかけても良いかどうかはわかるはずです。それを大人の都合で無視し、過剰に負荷を与えることはやめて欲しいものです。大切なのは、子供達1人1人が自分らしさを失うことなく高校生活を送ることであって、特定の高校に進むように導くことが善ではないのですから。